お見合い結婚だから愛がないわけではない

驚いたことに、お見合い結婚というと、愛のない結婚、と決めつけたがる人がいるようです。

ですが、実際にぶどうの樹結婚相談所でご成婚された方々の多くが、おてて繋いでラブラブ、アツアツの状態でご挨拶に来られるし、ご結婚後もSNSなどで熱愛っぷりを投稿しているのをそっと見ていて、お見合い結婚だから愛がない、というのは誤解であると心底思っています。そしてその誤解を解かなくてはいけない、とも思っています。

確かに愛がない夫婦、あるいは愛が冷めてしまった夫婦というのは世の中に一定数存在しているようです。結果的に離婚するご夫婦が多数存在しており、その多くは恋愛結婚でスタートしている、という事実は誰でも知っているかと思います。

ということは、お見合いで出会ったか、偶然出会ったかの違いと、愛情の有無とは全く関係はないと考えるのが自然ではないでしょうか?

そもそも愛って何?

愛がない結婚は嫌だ!を言っている人の多くが、「そうですか、それでは愛とは一体何ですか?」と聞かれても、はっきり答えられません。ということは愛って何かわからないのに、その何かわからないものがないとかあるとか議論すること自体が愚かしいことです。

ただ一つ私がこれまで多くの男女の結婚のお世話をしてきて言えるのは、愛というのは恋と違って、育むのに時間と手間がかかるもの、ということです。

ちなみに心理学者によると、

愛情とは、愛情をしめすそれなりの”行動”と”その繰り返し”によってのみ生じるもの

だそうです。

愛を示すそれなりの行動とは?

平たくいうと、デートに誘ったり、デートに応じたり、ご馳走したり、優しくしたり、笑顔で会話をしたり、誕生日には何かをプレゼントしたり、そういった継続的な努力なしに”抽象的な愛”は存在し得ない、というのです。

だからこそ多くのマンネリ中年夫婦の間で、「最近は記念日に何もしてくれない」とか、「毎日の料理が手抜きすぎる」と言った不満が愛情の欠乏感へとつながり、「綺麗だね」とか「あなたも素敵よ」などと言った言葉の贈り物をしなくなった途端、なんとなく愛が冷め始めるのです。

言い換えると、もしもお見合い結婚の末、愛が育まれていないとしたら、それは両者によるそういった努力不足のためで、決してお見合いのせいではありません。

お見合い結婚ってなんだろう

勘違いをしている人もいるようなので説明させていただきますが、お見合い結婚と言っても、今日お見合いをして、OKなら次の週末にプロポーズするわけではありません。

お見合い(1時間ほどお茶をしながらの顔合わせ)の後は、双方の合意があればまず連絡先を交換し、デートに誘い・誘われ、お食事したり、映画を見たり、テーマパークへ行ったり、誕生日にはちょっとしたプレゼントをしたりしつつ、お互いの趣味や家族について、価値観を共有していき、時にはお相手の部屋へ遊びに行ったりします。

その結果として、

私、この人と結婚したいかもしれない

と結論を出すのがお見合い結婚です。なんならこのプロセスは恋愛結婚でもそうですよね。出会ってデートをして、告白をして、お付き合いをする、という流れは同じです。

ただし結婚相談所に限っては、セックスや宿泊はプロポーズの後にしてね、というのがルールになっているだけです。女性からしたら当たり前のことで、30歳を過ぎて結婚する意思が全くない男性と宿泊を伴う旅行や性行為を”うかうかと”するなんて、リスク以外の何ものでもありません。それとももしも

愛情=セックス

というふうにお考えでしたら、私は大いにそれには疑問を持ちます。

性的なコミュニケーションを愛ととるかどうかは、そもそも個人差が激しいため、ただの夜のお友達になりかねない、という危険性が男女どちらにも付きまとうのが現実だからです。

ただし多くのケースで、一度行為に及ぶと女性はその男性に対して特別な執着心を持つことが、統計的・心理学的・生物学的に説明がつくそうです。あくまで愛でなく、執着心というところがポイントです。だからこそ愛のない結婚をしたくないのでしたら、行為に及ぶ前に結婚の意思を確認し合うことが重要なのではないでしょうか?

恋愛とお見合いは反対語ではない

誰が言い出したかはわかりませんが、恋愛結婚の反対はお見合い結婚、というような発想があること自体に私は疑問を持ちます。

お見合いで出会ってから愛を育むことは可能ですし、多くの男女が実際にそうしているからです。そういう意味ではお見合いで出会った恋愛結婚、という概念があってもいいのではないでしょうか。いささかややこしいですけれど(笑)

ひとつの流行としての恋愛結婚

ところで恋愛結婚がいいもの、結婚のあるべき姿、とされもてはやされたのは、日本においてはバブル期であるという説が有力なのはご存知でしょうか?なんとそれまでは、日本においてはお見合い結婚が多数派だったのです。

バブルとは、景気の良い時代の適齢期の男女が、まだ同時めずらしかったイタ飯(イタリアンのいにしえの呼び名です)を食べたり、目新しかった”ワイン”を飲んだりして、海外ブランド物の服に身を包み、海外ブランドの指輪を贈ることこそが【愛情の証】とされていた時代の話です。

今となっては、恋愛の名の下に資本主義経済に踊らされていただけ、ということが明白なわけですが、(今でも高級ブランドの指輪=愛の証と思っている人にはごめんなさい)当時の若い男女(今現在50代半ば以上の方々)にとっては非常に大真面目な愛の示し方だったというわけです。

このお金のかかる愛情の示し方は、一部の女性たちとレストラン関係者や宝飾品販売業者など各方面に気に入られ、それと同時にお見合い結婚は衰退の一途を辿ったそうなのです。

ですが、影響はそれだけにとどまりません。

日本における婚姻率の低下とそれによる出生率の低下は見事なほどに、お見合い結婚での婚姻数の減少と比例しているという事実があります。

少子高齢化は恋愛結婚の流行のせいかも

結婚にお金がかかりすぎるこの流行のために、理想の結婚ができるのはごく一部の裕福な方だけになってしまいました。その結果として、残念なことに、婚姻数と子供の数が激減して、現在の日本が抱える深刻な人口の減少へとつながっている、と言えます。このことはもはや疑いの余地がないとすら、アナリストの間では言われているのです。

日本という国は特に、圧倒的に婚外子(未婚のカップルの間の子供)が少なく、また「できちゃった婚」という言葉がわざわざ設けられるほど、入籍後に子作りをすることがスタンダードとなっています。これは世界的にみると非常に珍しい文化なのだそうですよ。

実は私は学生時代、フランスの家族政策を学んでいたのですが、フランスでは婚外子も結婚家庭の子も差別がなく、入籍という行為自体してもしなくてもいいよ、という法制度になっています。まさにどんな形でも、独身男女の間に愛があればそれでいいじゃないか、というわけです。

でも日本においては、法律上の結婚をしない、できないことが、子供が段々と生まれなくなっていくことに直結してしまうという、困った仕組みになっているのです。

条件で選ぶことは打算的?

さて、話を元に戻しますが、恋愛至上主義の方々が言いたいこともよくわかります。

お見合いは、予め条件を満たす人としか会わないから、打算的でなんかイヤラシイという考え方です。

ですが現実問題として、結婚は恋愛と違いって「家庭を作る行為」である以上、価値観や経済力、居住エリアなど最低ラインでお互いの希望が一致していなければ、仮に大恋愛の末結婚しても即離婚となることは目に見えいています。

もちろん条件だけで選ぶわけではありませんが、条件を満たした上で人柄を見るのが一番間違いないのはお分かりですよね?

成田離婚と恋愛

さて、恋愛結婚がうまくいかない典型例な例が、バブル期に流行った成田離婚です。

結婚をしたお二人が、海外へ新婚旅行へ行って長時間一緒に過ごすうちに、些細なことから大喧嘩をする。その結果、帰国してすぐに成田空港で離婚宣言するというカップルが、当時は冗談でなく後を絶ちませんでした。結局、当時大流行したキラキラの恋愛結婚をしたとしても性格の不一致による離婚は避けられなかった、というのが事実です。結婚とは必ずしもキラキラの延長線上にはないのです。また、当時の派手な結婚式や贅沢な新婚旅行で、貯金を全て使い果たす、という今となっては非常識が、頻繁に見られたことも付け加えておきたいと思います。すごい文化ですよね。

もちろんこういった事例は過去のものですが、現代でも似たような例はあります。女性が男性にハリーウインストン(最低140万〜)を婚約指輪に希望した途端、金銭感覚の不一致でお別れになるケースは後をたちません。

一方で、お見合いでは最低条件のラインをクリアしていたら、後は実際に会って会話をしてみて人柄を見ていくという行為の積み重ねにより、たった1人を選抜していくので、性格こそがふるいにかけられる最大の要素になっています。

結婚相談所でご成婚をした男性の口から、

「彼女の人柄がすばらしいと思いました!彼女以外結婚相手には考えられません!」

という言葉を何人からも聞いた私としては、お見合いの一体どこが打算的なのかしら?と不思議で仕方がないほどです。

このように、体裁の上では恋愛結婚であっても、実は打算的なケースもあり、逆にお見合い結婚でも人柄に惚れ込んで結婚するケースは後を経たないのです。

結論としては、条件だけで一生のパートナーである結婚相手を選ぶことは、誰にもできないということが言えます。どんなに好条件な相手でも、性格が合わない人とまる1日一緒に暮らしてみたら、逃げ出したくなるからです。

まとめ:愛は時間をかけて育むもの

まとめますと、愛情がない結婚、というふうにお見合いをとらえている人がいるようですが、それは全くの誤解です。

実際のところ、お相手のことを「歩く条件」としてしか見ないような人は、ほぼいません。

結局、本当の男女の愛とは、結婚後何十年もの間、根気強く愛情を示し続け、お相手を大切に扱い続けることができたご夫婦の間にしか生まれないと私は思います。恋人同士としてあちこち旅行に行ったからなんだというのでしょう。数年間同棲したとしても、浮気されておしまいというカップルはいくらでもいますよね。それは当たり前のことで、愛の本質は、非常に長い年月、責任を伴って、努力を積み重ねた末に生まれるものだからです。まさに真の愛は ”死が2人を分つまで” 継続した時に、初めて証明されるというわけです。

そういう意味では、お見合いでも恋愛でも、まだまだ新婚当時には、「愛」と呼べるほどのものは十分に存在していないのではないかと私は思います。あったとしてもそれはほのかな愛の赤ちゃん、愛情の芽生えくらいのものです。つまりちょっとした困難ですぐに失われてしまうものです。

結婚相手を決める上で大切なことは、「この人となら長期的に関係性を築いていけそうな気がする」という信頼感と、困難を乗り越える覚悟です。後は家庭を回していく上で必要な経済力や家事能力、常識です。

高価なダイヤモンドも、大袈裟な愛情表現も、愛のある結婚生活を求める人にとっては、大した意味を持たないことを理解しておくと失敗しないでしょう。

愛のある結婚生活をしたい方は是非ご相談くださいね